2014年7月30日水曜日

ふすまの陰から見ていたゲゲゲの鬼太郎~わが道を貫き通す 水木しげる 先生  2011年10月22日 記事

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 今朝は雨で強風を伴っていますが、フェーン現象なのか生温かい風です。
 先日の夕焼けを撮ってみました。これからお天気の日が徐々に減っていく裏日本は阿賀野市です。


 ココアも散歩の後はお気に入りの段ボールベッドでくつろいでいました。うま辛カレーせんの犬です。

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 水木しげる 先生といえば、昨年のNHKの朝の連続ドラマでも その人生が取り上げられた、今や押しも押されもせぬ漫画界の大御所です。
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 小生は子供のころ、白黒テレビゲゲゲの鬼太郎を怖いもの見たさでよく見ていました。またソノシート(ビニール製レコード)のついた紙芝居も持っていました。

 昭和40年代は、街でも一本路地に入ると薄暗く、 田舎では街灯もまばらで、商店は夕方7時ころに終わるため、まだ夜が長く闇が濃い時代で、妖怪が子供を物陰からうかがっているような、なにか神秘的な雰囲気が日常生活にも垣間見られました。

 鬼太郎のTV放送の時には怖くてふすまの陰からちらちら覗き見していた臆病な小生でした。雑誌の付録で見た 河童の生活 のイラストを見て、ひょっとしたらいつも昼間遊んでいる沼にも河童がいて、人が寝静まってから夜な夜な遊んでいるのでは…?と想像をめぐらしたことも覚えています。

 学生時代は妖怪漫画から遠ざかっていましたが、大学生のころから古本屋に置いてあった水木先生の自伝やご自分が体験したニューギニアの戦記を読み、子供のころとは別の意味で興味をひかれるようになりました。

 水木先生は、もともと人に合わせることができない性質でかつ天性の凝り性だったため、進学も就職も不本意に終わったとのこと。

 太平洋戦争で出征した戦地で片腕を失いながらも一命を取り留め、帰国してから紙芝居、貸本まんがなどを手掛けたものの、赤貧洗うがごとく日々の暮らし。それにも負けず漫画を描き続けていたところ、時代が妖怪を求めたのか、 ”ゲゲゲの鬼太郎” が大ヒット(マンガの神様 手塚治虫 先生が、水木先生への対抗心から ”どろろ” という漫画を描いたという噂です)。
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 ゲゲゲの鬼太郎は何度もテレビでアニメ化され、奥様が上梓した ”ゲゲゲの女房” も TV、映画、舞台で大ヒット。

 大器晩成といいますか、齢(よわい)90歳に近づくにつれ、自らが妖怪化してきたような言動も、水木先生ならではです。

 本からしか、巨匠のエキセントリックな思考や言動を、小生には知ることができませんが、もし家族や友人に水木先生タイプの人がいたらちょっと、いや、かなり困るかもしれませんね。

 憧れではありますが、余人にはマネの到底できない、死屍累々たる戦場と極貧を生き延びてきた、凄味のある水木しげる先生 の生き方です。

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